P06~07 わたしの研究68 テーマ 胎児性・小児性水俣病の社会福祉 本研究所嘱託研究員 熊本学園大学水俣学研究センター 特定事業研究員 田尻 雅美 水俣病との出会い  私は2005年4月、水俣学研究センターの設立と同時に、研究助手として採用されました。その後、2017年4月に任用替えによって同センターの特定事業研究員となり、本年度で合わせて19年目となりました。センター勤務の前は病院で看護師をしていましたが、看護師として働く中で、患者の利益・権利を守る必要性を感じ、そのためにはもっと学ぶ必要があると思い、働きながら学べる熊本学園大学社会福祉学部二部に入学しました。大学では自ら学ぶ(調査・研究する)ことの素晴らしさを知り、故原田正純先生、水俣病問題と出会いました。当時すでに解決済みの問題とされていた水俣病を研究すれば、同様の社会問題の解決の糸口を見つけられるのではないかという思いがありましたが、実際はそうではなく、地元である熊本の水俣病事件が、40年以上(当時)経ってもまだ解決していないことに衝撃を受け、特に胎児性水俣病を中心にした研究を始めました。卒業論文だけでは時間が足りず、修士課程に進んで水俣病の研究を続けることになりました。修士論文を提出したあと、原田先生から「2005年4月に開設する水俣学研究センターで一緒に働かないか」とお誘いをいただき、二つ返事で働くことを承諾し、現在に至っております。 水俣学研究センター  水俣学研究センターは大学の14号館3階にあり、さらに水俣市内に水俣学現地研究センターがあります。水俣学は地元に学び、地元に還元する研究であることを基本とし、1)水俣病被害の実態解明、2)環境破壊を経験した地域社会の再構築、3)水俣学の資料収集・整理と公開(水俣学アーカイブ)の3つを柱に研究を進めています。 地元に学び地元に返す  水俣学現地研究センターでは、年に1回、地元の方々を対象とした公開講座、若手研究者を対象とした若手研究セミナー、月に2回の健康・医療・福祉相談などを開催しています。また、水俣病の原因企業チッソの新日本窒素労働組合から寄贈された資料をすべて保管・登録し、ホームページ上で公開しています。  健康・医療・福祉相談は、センター設立の2005年から開始し、大学の研究倫理要項に従って有機水銀の影響を受けた不知火海沿岸住民の健康・生活問題の相談を行っています。これにより、潜在的な被害の実態把握と施策の課題を明確にするとともに、水俣・芦北地域への社会的貢献にもつながっています。この相談事業は、ある胎児性水俣病患者の「水俣病のことをよくわかっている医者が水俣にいたらいいのに」の言葉から実現したとものです。水俣市内には一般診療所が21※1あり、人口10万人当たりの施設数は水俣市76.41で全国平均69.98を上回っていますが、当事者からすると、水俣病を見てくれる医師・病院は少ないと感じているようです。  健康・医療・福祉相談には様々な方が来られます。水俣病かもしれないので症状をみてほしい、水俣病の症状を教えてほしい、水俣病に関する手帳を持っているが使用方法がわからない、水俣病の認定申請・救済の申請をしたい、子どもの障害は水銀による汚染のせいではないかなど水俣病に関する相談が最も多く、その他にも精神障害や知的障害に関すること、介護保険に関すること、ハンセン病の救済についてなど多種多様な相談を受けています。 健康・医療・福祉相談から見えてくる水俣病の被害  健康・医療・福祉相談について2005年10月から2019年9月までをまとめた資料がありますが、この期間で587人が相談に来ておられます。そこから見えてくることは、「公式確認から60年たっても、水俣病に関する相談は多く、救済を望む人が多い」、「1940-1960年代生まれの小児性・胎児性水俣病世代の中には、何ら補償・救済を受けていない人が残されている」、「水俣病被害が終わったとされる1968年12月以降に生まれた人、転入した人にも水俣病に特有の症状が見られた」、「1968年12月以降生まれの被害調査も必要である」ということです。また、相談の動機で最も多かったのは「被害者手帳」※2への申請に関するもので208件、次いで水俣病認定申請が160件でした。相談者の年代は1950年代、1940年代、1960年代の順で、何ら補償・救済を受けずに放置されている胎児性・小児性水俣病世代の方が多く残されていることが明らかとなりました。相談者の多くは、家族・親族内に認定患者や救済策対象者がおり、自らも汚染地域に生まれ育ち、水俣病に特有の四肢末端優位の感覚障害があり、しびれ感や耳鳴り、からす曲がり(こむら返り)といった症状がみられました。チッソが水俣病の原因物質である排水を流しはじめた1933年から水俣湾の安全宣言が出された1997年までの被害調査が必要であることが明確になりました。 現在の研究と今後の課題  被害の実態を明らかにするために、胎児性・小児性水俣病患者たちの生活史を記録することにも力を注いでいます。彼/彼女らがこれまでどう生き、これからどう生きていきたいのか、障害者とのかかわりなども含め取り組んでいます。そして、故原田正純先生が最期まで取り組んでいた胎児性・小児性水俣病患者の被害の広がりと、現在認定されている方々が必要とする社会福祉とは何かを追求していきます。 ※1 水俣市ホームページ https://www.city.minamata.lg.jp/ijyu/kiji0031906/index.html 2023.11.21最終閲覧 ※2 水俣病が発生した地域に居住歴があり、水俣病とは認定されないものの、水俣病にもみられる一定の症状を有する人に交付され、医療費の一部が支給される。